教室をはじめたきっかけは、自分の子供を、自由な発想が出来る大人に育てたいと思ったからです。そこで、上の子が6歳で、下の子が4歳の時に、遊びの教室と絵画教室を始めました。
絵画教室と言っても、先生である私は何も教えないんです。ただ、絵や工作に使う道具やダンボールなどを用意しておいておくだけ、あとは子供達が考えて作って遊んでいました。 |

楢原雪江さん |
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| 男の子の間では、ずいぶんと長い間「武士ごっこ」が流行りました。ダンボールでヨロイを作って、新聞を丸めて刀にして、チャンバラをするんです。女の子はブルーのゴミ袋にティッシュで作ったフリルを付けて、ドレスを作ることが流行ったことがありました。 |
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子供達は、いつも私の想像以上の、奇想天外な遊びを考え出します。そうやって考え出された遊びが、約16年間、大きな子から小さな子へ伝わっていきました。
その間にのべ200人くらいの子供が、教室を巣立っていきました。 |
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教室を始めた頃は、子供達の気持ちがはっきり分かりました。しかし、時が経つに連れて、子供の気持ちが分かりにくくなってきました。特にバブルが弾けてから、世の中が厳しくなり、教育の現場も厳しくなって来てから、子供達に元気と自信がなくなってきました。
何とか子供達に元気づけたい、ということで、自然の中に連れて行ったりしました。
しかし、ちょうどその頃、私も母の病気の看病など疲れていて、身体を壊したこともあって、思い切って教室を閉じることにしました。 |
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16年の間には、実にいろんなエピソードがありました。それを夫に話すと、「こんなに面白い話を、そのままにしておくのはもったいない」と言われ、日記を書くことにしました。
日記を書き溜めていくうちに、これを出版したいという気持ちが強くなってきました。 |
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そこで、2回ほどある出版社にその日記を送ってみましたが、2回とも「ダラダラ書いているだけの日記ではダメ。誰か一人を主人公にしなさい」と言われました。
しかし、私は誰か一人だけを主人公にする、ということができませんでした。 |
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少しお恥ずかしい話をしますと、私は絵の教室の先生でありながら、絵を描いた事がありませんでした。。絵を描くのが好きではありませんでした。
先生だから、立派なものを描かなければならない、という気持ちがあり、なかなか自由に描くことが出来ませんでした。 |
私の父は絵描きでした。私は5人兄弟だったのですが、私以外の兄弟は、全員絵に関係の無い仕事をしています。
私の姉はアメリカに住んでいますが、ある時遊びに行ったとき、絵の教室をしていると言うと、「お父さんに1番似ている」ということで、とても喜んでくれました。それで、アメリカにいる2週間は、ずっと絵を描いて過ごしました。
それから、積極的に絵を描くようになり、やがて「個展を開きたい」という思いを持つようになりました。
それが段々と強くなって、そのとき、私は「自分は絵を描くのが大好きなのだ」ということを発見しました。
そうしてできたのが、絵本「遊ぶこどもたち春夏秋冬」です。
この本で、遊ぶことがどんなに楽しく、また大切であるかを伝えたいのです。
そして夢は実現できるんだ、ということを、みんなに教えたかったので、私は「個展をしたい」という夢を、実現していこうと思いました。
そして、色々な方との出会いから、今日の個展が開催できることになりました。 |
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私がみなさんに言いたいことは、「あきらめなければ、夢は必ず叶う」ということです。
人間は何歳になっても、自分の中に子供をとどめています。その子供を押しとどめずに開放してあげることが必要だと思います。 |
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今後は、子供の遊びための支援センターを作りたいと思っています。それで、今懸賞論文に応募していて、入選したら300万円もらえます。
もし実現したらそのお金で、立ち上げようと思っています。 |

遊びの教室の元生徒さんたち |
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| 世の中に妥協して、迎合して生きることは簡単です。しかし、今日会場に来てくれている卒業生のみなさんは、自分らしく生きようと必死にがんばっている人達ばかりです。そんなみなさんと、私は支援していきたいと思っています。 |
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| これから、みなさんとコミュニケーションをとりながら、夢を実現していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 |